千住銀行その他の銀行

 

千住町ができるとその財政を預かる金融機関を設立したい。

との事になり設立されたのが本銀行です。

郡史には「大字千住仲組にあり明治30年12月2日資本金拾万円を持って創設し

経営堅実にして本郡唯一の金融機関となり資本金三十万円に上る

本府支金庫及び本郡、町の金庫事務を取扱う」とあります

位置は現在の旧道西側尾張屋菓子店のとなり駐車場になっているところです。

この銀行は街の有志の出資により設立され東京府・南足立郡・千住町のそれぞれの公金を扱い

また街唯一の金融機関として活動してきました。

右の写真は正面から撮ったもので

絵葉書等にもなったようです。

次の写真は横から撮ったもので

隣の吉野屋履物店(今無し)の看板がよく見えます。

大正4年には上記の通り30万円に増資し次いで12年には100万円まで増資しました。

左の株券はこの時の物で翌年には無用になるとは思っても見なかったでしょう。

名前は伏せさせてもらっています。

中央上側に両替の分銅に千の字をあしらったマークが見られます。

しかし中小銀行の域を脱せず大正13年11月に古河銀行に合併されてしまいます。

古河銀行は古河財閥の中心銀行でしたが昭和の金融恐慌を乗り切れず

昭和6年解散となり第一銀行が後の面倒を見ることになりますが

この間公金取り扱いが不如意になる事態になりました。

 

そこで大正15年千住町の公金取扱機関として設立されたのが千住信用組合で

のちに足立信用金庫さらに現在の足立成和信用金庫へと発展してゆきました。

 

他に千住町にあった銀行は大正2年の深田銀行これは昭和3年に愛知銀行となり昭和16年には東海銀行となります

現在の足立成和信用金庫本店駐車場の場所です。下に写真があります。

 

大正9年には中井銀行これは昭和3年に恐慌によって整理され昭和銀行となり昭和19年に安田銀行となりました。

中井銀行時代の位置は旧道仲町東側今日の根本自転車店の前に当たります。下に写真が右に広告があります。

 

他に足立銀行これはさだかではありませんが明治30年代の創業かと言われます、

それが興国銀行となりさらに安田貯蓄銀行となりました。

戦前には千住3丁目の旧道東側現在の守田書店の位置にあったようです。

昭和16年には大川町に移り戦後協和銀行となりあさひ銀行をへて今日りそな銀行となって千住2丁目駅前に帰ってきました。

先日ロビーで高齢の方が「私は戦後からづっと取引しているのにこの銀行はよく名前が変わるのよね。

最初は安田貯蓄銀行といったのに協和銀行でしょ協和埼玉銀行になってあさひ銀行になったでしょ。

それで今度はりそな銀行だって。よくかわるわね〜。」といっていました。

 

他に同じく明治時代の創業になる農商銀行が大正時代まで千住五丁目(現四丁目)旧道東側にありました。

この銀行も後に東海銀行に吸収されていったようです。

現在のスエヒロ通商の前で、その当時の行舎は蔵造りで現在民家となって残っています。

 

南千住には大橋南詰、天王前に飯能銀行がありましたこの銀行は後に埼玉銀行となります。

ほかに金融恐慌の引き金になった東京渡辺銀行や明治商業銀行があったようです。

東京渡辺銀行は当社の当時の取引先でもあったようで当時の破綻処理関係の文書がまだ残っています。

 

この当時まで全ての銀行店舗は旧道に面してありました。

 

 

新国道ができると昭和16年には第百銀行が高砂町に(戦時統制で三菱銀行に合併されます。

現千住車庫のとなり)、昭和17年には第15銀行が寿町に(恐慌処理が終わると

三井銀行に合併されます)それぞれ進出しました。

前者は今日の東京三菱銀行千住支店です。後者は最近までさくら銀行千住支店だった現丸昌貸衣装店北千住店です。

 

このように千住は足立区全体さらには東京北東部の金融の中心地でもあったのです。

 両側の写真は大正時代の深田銀行千住支店(左側)

中井銀行千住支店(右側)です。

深田銀行が蔵造り千本格子の建物なのに対して

中井銀行は洋館の造りでその対照的な姿が

面白く感じられます。

 

これらの写真・広告は大正時代に地元の

やしま新聞社から出された「千住案内」

という本に収録されているものを借用しました

 

原本の写しを千住仲町の長谷川様よりお借りしたものです。千住銀行関係の写真は足立区関係の広報誌より

千住銀行株券は当社の旧蔵品を使用しました。

 

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