清亮寺

清亮寺は水戸黄門槍掛の松で大変有名な寺であった。
現在はすでに槍掛の松は枯れて残っていないが
その山門は昔の寺院の風格を色濃く残している。

日蓮宗の寺院で久榮山の山号を持ち
開基運寮院日表上人によってその院号を院号としています。
元和5年(1619)の創建で江戸時代初めに
建てられたことが知られます。
千住地区では唯一の日蓮宗の古刹です。

この寺院の建っている付近は足立区日ノ出町になります。
丁度千住宿から水戸街道に分かれて東へ進み
この寺にかかる槍掛の松のあった角から弥五郎新田に入り
千住宿から外れます。
槍掛の松は現在たちばな幼稚園になっている部分の西の
三叉路のところにあったようです。戦後枯れたそうです。
写真は在りし日の槍掛の松で大きな臥龍の松が街道を横切って
伸びているのが見て取れます。
背景に移っているのは街道を隔てた
民家2軒です。
水戸黄門が参勤交代のとき
槍を伏せると作法に違うというので
ここに槍を掛け休憩し
伏せることなく通過したので
皆それに倣ったといわれる銘木でした。
なお写真は境内の記念碑から取っており中央の光点はフラッシュの反射です。

弥五郎新田は通称「弥五」といわれましたが
もう一つ大きな寺が
ありました。それは真福寺でその地は
荒川放水路建設用地にかかり
移転させられ今千住新橋北詰西側に移りました。

さてこの弥五郎新田はその後綾瀬村に属し
千住町にはなりませんでしたが
その大部分が荒川の敷地に取られ
南側が飛び地になった関係で
現在は千住地区の一部分をなしています。

次の写真は天保4年(1833)建築の本堂で山門から続く
樹木の鬱蒼とした長い参道の正面に建てられ
歴史と風格を感じさせます。
本堂左側の御堂は「日朝堂」といい
身延山中興の祖といわれる
日朝上人を御祀りしたもので
足立区内では唯一といわれます。
本堂の建築は江戸時代末期の様式に従った
装飾にとんだものです。

山門は昭和6年の建築で本格的な薬医門です。
扁額「久榮山」は明治の書家として
有名な中村不折の書です。
写真は旧水戸海道に面した正面からのものです。

さてまたこの寺を有名なものにした一つに
解剖人の墓があります。
明治3年日本医学の黎明期に
死罪人の解剖を行った記念碑であり
その解剖された人たちへの供養碑でもあります。
昭和40年に再建されその本体は昭和57年
文化財に指定された。

山門の前にある
清亮寺と刻んである大きな石柱は
一番上の槍掛の松の脇に写っている物ですが
現在は位置を変え山門の前にあります。
安永8年に製作されたもので
江戸時代の風格を感じさせるものです。
その正面に書かれたお題目に信仰を感じる方も多いでしょう。

後方に見えるのは東武鉄道の高架橋で
JRと東武に挟まれたここにこれだけの
屋敷林を伴う寺院が残った事はとてもよかったことだと
思います。

他にも文化財
千住の著名人の墓地などありますが
一般の参観に供するものではないと思われるので
割愛いたしました。