胡録神社

この神社は南千住汐入の鎮守である。

江戸時代、地方橋場村(じかたはしばむら)と言われたこの地域は
戦国時代末期に高田氏によって開発が進んだと言われている。
当時はその名の通り浅草橋場の在であったが
明治に入ると南千住町の成立によって南千住に編入された。

そんな時代第六天社の名で知られたこの神社は
明治になると胡録神社となり今日に至っている。
右の写真は現在の当神社の正面である。
周辺には白鬚西再開発地区の高層建築が続き
その中に移転して全く新しい景観に変わったのは
つい最近のことである。
新しい景観は過去の風情を知っているものには
ちょっとあっけらかんとしすぎる感じである。
右の写真はかつて遷宮する前のたたずまいで
いかにも地域に根ざした風情が感じられた
しかし

何よりこの歴史ある神社が再開発の中保存された
ことで良しとしなくてはいけないのでしょう。

この本殿は幕末から明治初期の様式で建築されており
歴史が感じられます。
それが再開発の結果こう変わりました。


次の写真は現在の本殿正面
かつての時代の写真とほぼ同じアングルです。


かつての苔むしていた境内は玉砂利が敷き詰められ
ほとんどなかった壇は
立派な石垣となりその上に瑞垣も整備されました。
やや屈折していた参道は立派な直線の石畳にかわり
ほとんど朽ちかけていた(言いすぎですごめんなさい)社務所は
左側に新築されふさわしいたたずまいを見せています。
でもあのかなり繁って神社の森を成していたあの木々は
どうなってしまったのでしょう。
神の宿る地には鳥居だけではなく森も必要ではなかったか
新しい境内の植栽はいかにも現代風で
この神社にはふさわしく感じられません。


舞殿や記念碑も正面右側に移築されその方角に東門が開きました。

右の写真はその方角から見たものです。
正面の拝殿とやや後ろに本殿が見えます。
もちろん本殿を囲む瑞垣、拝殿と本殿の間を隠す
板塀も新設されました。
本殿東側に建っているのが舞殿です。

後ろには高層住宅が見えています。
かつてこの地で胡粉を生産しておりその臼等も
展示されていたものでしたが
今やそのような土俗的な面影は全く見えず完全に都会の真ん中の
神社と言う風景になっています。

過去の思いは別として
このような環境の中、神社の存続に努力され
さらに立派な社地を確保されこれを機に遷宮を果たした総代さん以下多くの方の思いはしっかりした形になったと感じています。

再開発に直面する多くの神社の見本になれば大変意義のあることと思います。