鎌倉時代の千住

鎌倉時代は源頼朝から始まりました。

伊豆で平家に反抗して挙兵した頼朝は石橋山の戦いで負けると三浦氏を頼んで

海路、房総半島へ逃れました。

房総の豪族の支持を得た頼朝は勢力を挽回し市川から隅田の渡しに大軍を集めました。

この隅田の陣は今日の鐘ヶ淵の木母寺北方とあるので白髭団地の付近と思われます。

大勢力を持っていた江戸氏の去就を見て中立だという見込みが付くと隅田川を渡り

石浜神明に参り速やかに板橋の地に入ったそうです。この間に豊島・足立・葛西等の

有力豪族は皆頼朝に従いました。

その後奥州平定が終わると江戸重長によって東北防御の拠点として関所が作られました。

これが後の関屋の地です。

さて鎌倉時代は宗教の時代といわれます。

いわゆる鎌倉仏教です。

1201年新井政次は隅田川から千手観音をひき上げ自分の屋敷で供養していましたが

法然上人の孫弟子にあたりその声該にも接した事のある専阿上人が布教のため

関東へ下ると文応元年(1260)政次の子、正勝ら地元武士団の後援を得て

勝専寺を創建しました。そしてこの寺に千手観音は遷され本尊とされました。

これが千住の起源のひとつといわれる観音像で今日でも勝専寺に祀られています。

ここが念仏宗の大きな拠点になっていったことは

明らかであります。

この時代に千住にある主要な宗教施設が設立されました。

本氷川神社

1307

氷川神社(大川町)

1293

安養院

1264

慈眼寺

1314

不動院

1332

西光院

1307

上の表のとおりです

寺院や神社が次々と開かれたという事は開拓が進み人口が増えていったという事です。

また宗教的拠点が増えたという事は浅草などと同じく軍事的でない発展形態をとっていったという事です。

周辺には豊島氏・千葉氏・葛西氏などの砦が林立していましたが千住にはありませんでした。

これが戦国時代に商業都市として江戸時代に入って宿場町として発展していく素地になりました。

1333この区切りのいい?少なくとも覚えやすい年に鎌倉時代は終わりました。

 

次は南北朝時代ですいよいよ戦国の幕開けになります。

 

南北朝時代にGO