氷川神社(仲町)

千住仲町は石出掃部亮が千住の南に広がる
河川敷の湿地帯を開墾して町にしたときに始まります。
江戸時代初めの事でした。
その石出家の鎮守として勧進されたのがこの神社です。

元和2年(1616)創建されました。
それ以来掃部宿(千住仲町河原町橋戸町のこと)
の鎮守として千住の中でも
重要な神社になりました。
明治時代に社格が定められると
村社とされました。
これは千住神社の郷社より下ですが
無格社が多かった中では
かなり高い評価を得ていたという事でしょう。

祭神は素盞鳴尊です。
でも社名と由緒から言って
氷川大神が祀られているのでしょう。
幾つかの末社が境内に祀られていますが
重要なものが幾つかあります。

右の写真は正面から拝殿を望んでいます。

まず関屋天満宮です。
大きな関屋天満宮碑が建っています。
この碑は文化4年(1807)に建立されたものです。
江戸名所図会には付属の梅林(今は無し)とともに描かれています。
さてその由緒ですが頼朝が関を置いた時
その関守大江道知が勧請したのが興りと言われます。
戦国時代が終わる頃関所が廃絶すると現在の千住関屋町内に
天満宮だけが残っていたといいます。
その天満宮を掃部宿建設の後にこの神社に引き取ったのが
このお社です。
天明7年8月(1787)にここに遷座されました。
右の写真は拝殿北側に祀られている
関屋天満宮の社殿です。
正面には菅原家の梅鉢の紋が染め抜かれています。
社殿の前には梅ノ木があり季節には見事な花を咲かせます。
この社殿の更に北側は社務所になるのでやや狭い感じがします。
さて創建は本社よりもずっと古いものとなります。
天満宮の旧社地は小塚が築かれ天満宮跡の碑が建てられていたといいますが
現在のどこかは定かではありません。

次ぎの末社は弁天宮です。
これは千住七福神の一つに数えられており
池の真ん中に弁才天を祀っています。
ご神体は弁天像供養庚申塔です。
庚申塔の象徴である三猿の像の上に弁才天が彫られており
これが庚申塔であることを顕わしています。
元禄2年(1689)の造営で
本社よりは新しいがかなり古いものです。
近づくと岩屋の中に祀られた像を見る事が出来ます。
右の写真がその像です。
中央弁天像の下の5角形が三つ並んだように写っているのが
三猿です。
もちろん江ノ島の弁財天を模して岩屋に納めたのでしょう。
新年には多くの参拝客が訪れます。

この神社の神輿は立派なものですが
祭礼の時には仲町のほか千住関屋町、
千住東一丁目地区を廻ります。
千住神社、本氷川神社に次いで広域な鎮守です。