安養院

この寺院は千住5丁目の旧道から入ったところにあります。
勝専寺や本氷川神社と同じく旧日光街道から山門まで
真っ直ぐ参道が伸びています。
新義真言宗(真言宗豊山派)に属し
本木の吉祥院の末寺です。
鎌倉時代の建長年間(1250頃)に
執権北条時頼の建立になり戦国時代には
小田原北条氏の北条氏政の祈願所だったとも伝えます。
山号は西林山、寺号は長福寺といいました。
その頃は今の元町の南部にあったようで
その地を耕している時
土の中から金銅製の阿弥陀仏が姿を現し
それを本尊として祀ったと伝えます。
その地は昭和の始めまで金佛耕地の名で知られました。
現在の千住柳町、千住龍田町の全部と
千住元町の南部がその区域です。
さて千住宿が現在地に設けられるようになると
他の項目でも述べた様に千住元町の集落は千住四丁目・五丁目への
移転を命じられ慶長3年(1598)に現在地に移転しました。

旧日光街道を北に進み横山家屋敷や郵便局の前を過ぎ旧水戸海道の分岐点の
信号を渡り暫く行くとすぐ左側に入るのが参道です。
その正面に近年建立された山門があります。
(上の写真)
山門を入ると正面に大正13年建立の本堂があります。
この本堂は屋根の頂に宝珠を乗せる宝形造りで
近隣の寺院と異なる印象を与えています。
(右の写真)
山門右手にはやはり近年建立された観音堂があり
その左にある保存樹の黒松ときれいな
景観を見せています。
本堂左側には庫裏が続きその前には
この付近には珍しい「もくげんじ」の大木があります。

更に左へ進み角を曲ると
元禄12年(1699)建立の「かんかん地蔵」があります。
地蔵を小石で打って祈願すれば霊験あらたかであると
伝えられ歴代の参拝者が小石で打っていったため
その正面は摩滅して真っ白な印象を与えています。
(一番左側の像)
そのとなりには別の二体の地蔵尊が建立されています。
ここで後ろを向けば板垣通りに通じる南門が
正面に来ます。
現在は板垣通り面のこの門が良く利用されているようで
足立区の文化財案内板もこちらの側にあります。

本堂の後ろに大きく写っている建物は
中央図書館や放送大学が入っている「学びピア」です。
荒川土手もすぐ近くのこの付近も
高層化の波が迫っています。