安土桃山時代の千住

近代千住の始まり

天正元年(1573)千葉氏が事実上滅亡した事は近代千住の始まりとなりました。

 

関所の廃止による商業の自由化が商業拠点として千住を活性化しました。

街道の整備が進むと千住は交通の中心にもなってゆきます

 

右の地図は当時を再現して見ました。手作りなので見苦しい点はご容赦ください。

いまの荒川はありません。足立葛飾の境には利根川が流れています。

この蛇行は両側の凸に成っている所を結んだ線が本当の川幅で約1kmあったようです。

その合流点で足立区側から張り出した半島状の地形の突端が三俣城です。

利根川の東は下総の国の葛西領になります。今の葛飾区墨田区足立区のうち柳原

がこの地区に含まれます。荒川区側は石浜領です。足立区の大部分は淵江領でしたが、

先に述べたようにこの地区では専住村15貫文と三俣6貫文の地は淵江領185貫文

の中には含まれていないようです。赤線はのちに作られた熊谷土手(下で述べています)

ピンクは掃部堤(江戸時代に入ってから作られました、次の回で述べます。)です。

黒線は比較のため現在の常磐線と国道4号線を入れてあります。

 

これまでの奥州より来る道は草加の方から南下して花畑へ出ます。

今日の鷲神社付近を鷲宿といい内匠橋近辺の部分に町があったようです。こから南下して利根川堤(いまの小菅刑務所の北側付近)にあたり

堤に沿って回り込み柳原土手を通り関屋町にあった関所にたどり着きます。

別に浦和から南下して舎人、伊興を通り本木の中曽根城(千葉氏の淵江城です)

の城下を通って元宿(中心は今の荒川の真ん中付近でした)、千住34丁目(まだありません)

付近を経由して柳原土手にあたり関所に至る道(後の赤山街道の前身です)もあったようです。

関所は江戸氏によって頼朝の命令で設置された後、その衰退後は千葉氏が支配したと考えられます。

関所の付近には和田宿という宿場があったとされます。今日の関屋町です。

延徳地理全図という安政時代の写本には和田宿を梅田付近とする図がありますが

後世の影響が多すぎるようであまり信憑性がありません。

ここに関所が置かれたという事は他の渡河点は全て禁止になっていたということです。

街道は千葉氏の根拠地三俣城の前で利根川(東武堀切駅の東側鉄橋付近)を渡り墨田に出ると

松戸市川方面からくる道(元の東海道または鎌倉街道下道)を合わせて

石浜の渡しですぐに再度隅田川を渡り、千葉氏の根拠地石浜城の城下を抜け

隅田川続いて海岸線に沿って浅草江戸方面へ向かったのです。

余談ですがこの街道が日比谷入江を迂回して桜川(後の外堀)を渡る所にあったのが霞ヶ関です。

つまり街道は完全に千葉氏の支配下にありその収入源であった事が想像されます。

関東一円の信仰を石浜神社が受けていたという事もうなずけます。

 

天正2年(1574北条氏政は今日の吾妻橋付近から埼玉県熊谷市久下に至る

荒川堤防を築きました。全長16里高さ11といわれるこの堤防は

それまでの自然堤防をつないだものでまた完成までに数年を要した事と思われますが

最近まで熊谷堤または熊谷土手の名で親しまれていました。

これが突破口となりました。千葉氏は再興されず石浜、三俣の拠点は失われ

北からの渡河点は本来の(八幡太郎以来の)千住大橋の位置に戻りました。渡裸の渡しと言われたそうです。

そして天正5年頃千住河原町のやっちゃ場が成立し野菜類の集荷拠点としての千住が始まったのです。

千住で最も古い商家は天正15年の創業と言われています。

天正18年(15907月豊臣秀吉は小田原に北条氏を攻めこれを滅ぼしました。

北条領をもらった徳川家康は同年81日を以って江戸に入城し千住は事実上の徳川時代に入ります。

この天正18年81日という日は徳川幕府の記念日とされ八朔の名で知られました。

徳川家康はすぐに街道の整備を始めました。

まず文禄3年(1594)9月千住大橋が完成しました。

右の絵は江戸名所図会から千住川の図を引用しました。

文字は荒川の下流にて隅田川浅草川の上なり隅田川上流

とあります。中央に千住大橋が描かれています。

これによって当時この部分の荒川を、

千住川と言った事が知られます。

 

この部分を旧考録から引用してみます。

(読みやすいように若干直しています。)

文禄2年当国豊島郡足立郡の間、

荒川に板橋御普請始まり翌3年に出来す。

橋の長さ66間巾4間但し京間。橋柱は槙を用ゆ、高欄付なり。

名づけて千寿大橋と云う、ご普請奉行は伊奈備前守殿也。

そして慶長2年(1597)千住は継場村に指定され宿場町としての第一歩が始まりました。

本格的な都市整備と街道の完成は幕府になってから始まります。

次回は江戸時代へ入ります。

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